2008.03.17 Monday
<経営>って(7)

一般的には経営学は外来の概念で、第二次大戦まではドイツ経営学、戦後はアメリカ経営学が主流を成したといわれるが、すでに述べたように「経営」という言葉はずっと以前から日本語では用いられてきた。
日本の経営学の基礎を創ったといわれる上田貞次郎(1879―1940)はドイツ、イギリス留学を経て帰国後「商工経営」の講座を設けたが、それは20世紀になってからのことである。
よくこれも言われることだが、日本的経営は村社会の論理に基づく云々というのも、欧米から日本に経営学が紹介された後の、日本企業の実情との対比によって生まれ、共通に理解された認識だと思われる。
けれども、ここでテーマにしているのは、そのずっと前、経営という言葉の深層である。
「経営」は古代から中世までは神事に関わるものとして、近世は国家や地域に関わるものとして、使われていた。それが明治以降は企業に関わり、現在の、企業の経営という理解に変化してきた。それは経済の主体の変遷に応じた変化でもあった。
たとえば古代から中世においては、
*古語拾遺(亮順本訓)〔807〕「其に力を戮(あは)せて、心を一にして天下を経営(イトナム )」
*太平記〔14C後〕二四・天龍寺建立事「仏殿・法堂(ハッタウ)・庫裏〈略〉不日の経営事成て、奇麗の粧交へたり」
近世においては、
*随筆・梧窓漫筆拾遺〔江戸後〕「三河の武士〈略〉元弘・建武の乱にて、尊氏天下を領し給ひ、慶長の乱にて、御当家天下を領し給ふ。三河武士の両度まで、天下を経営したること奇と云ふべし」
*国民新聞‐明治三〇年〔1897〕二月二八日「光誉ある戦勝の収局は三国の干渉を誘致し、東邦独自の経営に対して強国容喙の弊端を開きしは」
といった記述がある。(以上日国オンラインより)
そこには、単なる管理だけでなく、往来や巡り歩きなどの諸活動、創造的工夫、ひたすら励むことといった広い意味が込められてきたといえる。
したがって、「日本的経営」というのは、ただ村社会の経営、などというのでなく、創造的な響きを持ったものだということができる。そこに実践的な知が通っている、ということについてはすでに述べたとおりである。
写真は姫路城。筆者撮影。



